ニュースについて深く考えたことはありますか?
ニュースとは一体何なのでしょうか? 私たちは日々、ニュースに触れていますが、ニュースとは何かを深く考えたことはないのではないでしょうか。ここではマスメディア論の観点から、ニュースの特徴を考えてみましょう。
映画「ロッキー」をヒントにニュースを考える
ニュースとは何かを考えるヒントになるのが、映画「ロッキー」(1976)の一幕です。ボクシングのヘビー級チャンピオンであるアポロは、タイトルマッチに備えていました。ところが、直前になって、対戦相手が負傷してしまいます。急遽、試合の穴埋めを迫られたアポロは、咄嗟に「無名選手と戦う」という企画を思いつき、三流ボクサーのロッキーに白羽の矢を立てます。普通なら弱い選手と戦っても話題になりません。しかし、チャンピオンが無名の選手に挑戦権を与えれば、それは「アメリカンドリーム」の象徴として、大きなニュースとなるに違いない。アポロはそう考えたのです。
「ありふれた事実」ではなく「新奇な事実」がニュースになる
ここには、ニュースの重要な特徴が現れています。ニュースとは単なる事実を伝えるものではありません。私が朝食にパンを食べたことは事実ですが、ニュースにはなりません。「ありふれた事実」ではなく、人々の注目を集める「新奇な事実」だけがニュースになりうるからです。アポロは、このことを逆手に取って、ニュースになりそうな出来事を先回りして作り出しました。アメリカの歴史家ダニエル・J・ブーアスティンは、『幻影の時代』(1962)の中で、自然発生的な出来事とは異なり、マスメディアの注目を集めるべく人工的に作り込まれたこの種の出来事を「疑似イベント」と呼んでいます。現代の政治家や芸能人はみな、「疑似イベント」を駆使しているのです。
インターネットの発達で変わりつつあるニュース
ただし、最近では、ニュースを取り巻く環境も変わってきています。とくに重要なのは、インターネットの発達でしょう。以前なら、何が「ニュース」になるかを決めるのはマスメディアの役割でした。しかし、現在では、「バズる/バズらない」という形で、人々が本当は何を「ニュース」と見なしているのかが、目に見えるようになりました。インターネットでバズった話題をマスメディアが後から紹介することも珍しくありません。つまり、何が「ニュース」になるかはマスメディアが決める、という図式が崩れつつあるのです。そのような時代にマスメディアが果たすべき役割とはどういうものなのでしょうか? これからのニュースがどうなっていくのかを、ぜひ考えてみてください。