授業編

ルーヴル美術館はなぜ開館し、どのようにコレクションを集めたか

文芸学部 ヨーロッパ文化学科

中山 俊 准教授

ルーヴル美術館の誕生の秘密を探る

膨大な美術品が収蔵・公開されているパリのルーヴル美術館。世界的に有名なこの美術館はいつ、どのような理由で誕生したのでしょうか。また、そのコレクションはどのように集められたのでしょう。「略奪」によって取得された作品もあるのでしょうか。ここでは、これらの問題について考えてみたいと思います。

王族や貴族の所有物を国民の財産へ

ルーヴル美術館は、フランス革命さなかの1793年に開館しました。当時、美術品の多くは王族や貴族の所有物でした。彼らは革命が打倒しようとした「アンシャン・レジーム」(旧体制)の担い手でしたので、古い体制を連想させる美術品は破壊すべきだという過激な意見も出ました。しかし、文化財の破壊は野蛮であり、むしろそれを没収して「国民の財産」として保存・公開すべきだという考えが強まります。ルーヴル美術館は、このような状況の中で創設されました。王から国民への主権の移譲を可視化しつつ、国民を教育する場として誕生したのです。

戦争と美術品収集―「圧政」からの「解放」

当初のコレクションの中心は、王族や貴族から獲得した美術品でしたが、革命期からナポレオン時代にかけては、他の欧州諸国からも作品がパリへ運ばれます。革命の波及を抑えようとする欧州諸国との戦争の過程で、遠征先で発見された美術品が押収され、移送が進んだのです。フランスは「圧政」から現地住民を救うという大義名分のもとに派兵しましたが、同様に、「芸術は『自由』によって生み出されたものであるため、『自由』の祖国フランスに置かれるべきだ」として美術品の移送を正当化しました。

より面白く鑑賞するために、美術品の背景にも目を向ける

もっとも、すべてが力ずくで奪われたわけではありません。なかには、条約などに基づいて譲渡されたもの、購入によって取得されたものも含まれていました。しかし、正式な手続きであったとしても、フランスと所有者の間には力の非対称が存在しました。所有者の望まぬ同意があった側面は否めないのです。ちなみに、集められた美術品の中には、ナポレオン失脚後も返還されずルーヴル美術館に残り続けたものが多数あります。皆さんも、美術館の成り立ちやコレクションの「来歴」に是非目を向けてみてください。展示品をより深く理解し、より面白く鑑賞することができるかもしれません。

高校生へのメッセージ

見たいものだけを見る危うさに気づき、未知の領域にも心を開くこと。通念を疑い、多様な意見に深く学び視野を広げること。文芸学部ヨーロッパ文化学科では、このような学びが可能です。

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