人間が使う言葉は、どうして曖昧なの?
「背が高い」って何センチ以上? 「大勢」って何人以上? 私たちの言葉の多くは曖昧です。いったい、なぜでしょうか? 数学の言語、論理学の言語、コンピュータのプログラミング言語など、形式言語とよばれる言語においては、曖昧は欠点とみなされるのが一般的です。しかし、私たち人間がふだん使っている自然言語においては、曖昧はコミュニケーション上の武器とみなされるのが一般的です。
コミュニケーションを円滑にする言葉の力
ひとつの考えとして、私たちの言葉が曖昧なのは「便利だから」という仮説があります。例えば、テストの点数を聞かれて答えたくない場合に、正確な点数を言うかわりに、「悪かったよ」と曖昧な言葉を使って「逃げる」ことができます。あるいは、学校のある授業で何人か欠席者がいて、人数を聞かれたけれど、正確な欠席者の数までは知らない場合に、「少しだけいたよ」と曖昧な言葉を使って「ぼかす」ことができます。ぼかす場合も、逃げる場合も、嘘をついたことにはなりません。
曖昧な言葉による意思疎通の解決されない謎
曖昧な言葉には、嘘をつくことを回避しながら、逃げたり、ぼかしたりすることを可能にする側面も当然あるでしょう。しかし、この仮説では、曖昧な言葉を使っているにも関わらず、私たちは大抵の場合スムーズに意思疎通を行えているのはなぜか説明できません。よって、自然言語における曖昧をポジティブに捉えることができ、かつ、曖昧な自然言語を用いて私たちが意思の疎通ができるのはなぜなのか説明できる仮説が必要になります。
「不正確」「正確」な部分をモデル化し、仕組みを探る
私自身は、曖昧な言葉は「不正確な部分」と「正確な部分」を併せ持つ言葉だと考えています。不正確な部分を持つから、便利に、ラクに、使える反面、正確な部分も持っているから、意思疎通も可能になります。私は現在、フランス語圏で発展している「意味論的ブロック」という概念を用いて、曖昧な言葉の不正確な部分と正確な部分をモデル化する作業に取り組んでいます。