授業編

〈ことば〉によるコミュニケーションの便利さ、不便さ

文芸学部 国文学科

竹内 史郎 教授

私たちと言葉の関係とは?

私たちと言葉の関係とは?
私たちにとって言葉とは何でしょうか? 言語とは何でしょうか? 言語を研究する専門家たちは、この問題に頭を悩ませてきましたが、通説として次の2つのことがあります。
 ●目的論的な発話観:発話とは発話者が何らかの目的達成の意図をもってなすものである。
 ●道具論的な言語観:言語とは、情報伝達のために発話者(話し手)に使われる道具である。
ここにお示しする発話観、言語観はなるほどと思わせてくれるところがありますが、この講義ではこれらの通説とは異なる側面について考えてみましょう。ポイントとなるのは私たちが日常行なっているコミュニケーションであり、その「あるがまま」の姿です。

言葉が引き起こす誤解と葛藤

こちらから3つの問題を提起させて下さい。
 (1)言葉(言語)を用いることで、コミュニケーションがうまくいかなかったということはないか?
 (2)言葉(言語)のない世界で生きるということが私たちには可能だろうか?
 (3)私たちと言葉(言語)との関係において、どちらが「主」でどちらが「従」だろうか?
(1)についてですが、コミュニケーションがうまくいかないことなんて日常茶飯事です。傷つけたり誤解を生じさせたりといったことは言葉を用いるからこそ生じると言えるかもしれません。次に(2)につきまして、言葉を用いたコミュニケーションに慣れた私たちが、言葉のない、言語のない世界に生きることなどとうてい不可能なことだと思われます。言葉を発しないということを2、3日続けるだけでも難しいことなのではないでしょうか。

私たちは言葉に支配されている?

さて、最後の(3)についてです。私たちと言葉(言語)との関係において、「主」であるのは言葉(言語)で、「従」であるのは私たちの方という側面もあるのではないでしょうか。なぜなら私たちのコミュニケーションは大きく言葉に依存しており、それなしには生きることすらままならないからです。

言葉の力と危険性

以上から、私たちにとって言語は道具などではなく、私たちが依存し振り回されることを考えれば、お金とか宗教といったものに近い存在だったりするのではないでしょうか。心してかからなければなりません。

高校生へのメッセージ

自分が親しい人たちに対して普段どのように言葉(言語)を用いているのか、あるがままの姿を観察してみて下さい。スマホで録音してそれを聴くのがいいと思います。そして、自分の声を聞いて「いい声してるな!!」ってつぶやいてみて下さい。

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