読書が人生を変えるトリガー!?
19世紀フランスの古典小説には、少年少女に読書の魅力と弊害を語ったものがあります。スタンダールの『赤と黒』は恋愛心理を描いた傑作と言われ、女性を利用して社会の上層を目指す青年の物語です。その始めのほうに、「材木屋のせがれジュリアンは、セントヘレナ島の回想録で読むこと、考えることを学んだ」とあります。ワーテルローで敗れ、流刑地で余生を送るナポレオン・ボナパルトの回想録です。フローベールの『ボヴァリー夫人』では、浮気と浪費で自滅する若い妻エンマが、子どもの頃、「『ポールとヴィルジニー』を読んで、竹でできた小さな家、黒人奴隷のドマンゴをあれこれ夢想」しました。
小説への没入で磨かれたコミュニケーション力
ジュリアンはもはや軍団を率いて智謀をめぐらせられない時代に生きており、エンマ・ボヴァリーは地方医師の後妻です。彼らの読書経験には、はっきりと性差がありますが、長じて日常のリアルに耐えられないこと、読書でコミュ力を磨いたことは共通しています。エンマは家政の巧みな若妻でした。「往診料の請求をするときは、計算書らしくない巧みな言い回しの手紙を書いた」*。ご近所の奥様を夕食に招いて出すのは、「葡萄の葉の上に、季(すもも)をピラミッド状に盛りつけ」*た、今ならインスタ映えするデザート。
理想と現実のギャップに絶望したとき、人は……
でも、エンマは夫に不満です。つれないとか、仕事人間だからではありません。「彼女は自分の姓であるこのボヴァリーという名前が、有名になってほしかった。フランス全土に知れわたってほしかった」*。そこは19世紀の地方社会。女性の自己実現の道は限られています。結婚してなになに夫人と呼ばれて初めて社会に居場所ができます。ところが、夫には「野心など微塵もなかった!」*
イメージとリアルの間で揺れ動いていませんか?
フローベールのエンマは、女性だから実現できない夢を、パリジェンヌになりすまして手に入れようとします。イメージとリアルの危険な戯れは、現代の日本社会で、スマホを眺める私たちにもあるのでは?
※1枚目の画像:The Red and the Black by Stendhal (A. Levavasseur, 1884)
※3枚目の画像:La mort de Madame Bovary, peinture d'Albert Fourié (musée des Beaux-Arts de Rouen, 1883)
*『ボヴァリー夫人』山田爵訳(河出文庫、2009年)より一部引用