国文学科に興味を持ったのは、高校時代に『源氏物語』に魅せられたことがきっかけです。特に「若紫」の段が好きで、その緻密な人間描写に感動し「単なる入試のための古典ではなく、文学作品としてもっと深く学びたい」「人類の叡智としての古典を考究したい」と考え、進学を決めました。また、私は将来国語科の教員を目指しています。教員免許を取得できる点も国文学科を選んだ理由の一つです。
「中古国文学会読」は『伊勢物語』初段を一語もないがしろにせず精確に読む授業です。初段の「むかし、男、うひかうぶりして、平城の京、春日の里にしるよしして、 狩りに往にけり。」という書き出しは有名で、「昔、男が、元服して奈良の都、春日の里に、その土地を領有している縁で狩りに出かけた」と、表面的な訳をつけることは難しくありません。しかし、「むかし」とはいつか、「男」とは誰か、なぜ固有名詞ではなく「男」なのかといった問いを同じ学科の仲間と検討しながら、『伊勢物語』 初段だけを1年かけて読んだことはとても印象に残っています。
履修登録やオンライン授業ははじめての経験であり、不安だったために授業を上限まで履修した結果、時間割がハードになり、課題に追われることもありました。
対面での授業が増えたことに伴い、学生同士で直接考えを発表し合う機会が増え、これまでにない学びの深まりを感じました。
少人数の学びの場で、より自分の意見を述べる機会が増え、思考を整理、言語化、伝達する難しさを感じながらも、これまでに築いた基礎を活かして作品を読めるようになりました。
私の所属する中古国文学ゼミナールでは、平安文学を究めた先生のもと、一語一語丁寧に解釈を共有しながら、みんなで作品を読み解いていきます。これは少人数のゼミナールだからこそ実現できる学びの形だと感じています。また、面白いのが「脱線すること」も学びのひとつであるということです。例えばある授業では、座るという意味の言葉「ゐる」を90分かけて深掘りしました。先生が平安時代の座り方を5パターン実演してくださり、作品が視覚化されたことが印象的でした。脱線というとネガティブな印象を持たれがちですが、私のゼミナールにおける脱線は本質から外れるどころか、むしろ本質に迫っていくものであり、作品を立体的に読む上で非常に重要な役割を果たしていると感じます。
将来の目標は高校の国語科教員になることです。古典の文法や単語は入試でも問われるものですが、ただ暗記するだけでは古典を学ぶ意義が見出されません。それらはあくまでも、古典作品を読むための道具だと、私は考えています。私はもっと作品そのものの魅力に触れてもらう新しい古典の授業を実現するために、国文学科の授業でもっと専門性を高め、作品の読み方を学びたいと思っています。そして「国語科教育法」といった教職課程科目の授業で教育の知識を養い、各方面の学びを自分の中で結び付け、深めていくことを意識して日々の授業や課題に取り組んでいきます。
※記事内容・写真は2022年取材時のものです。